安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから
表題の『安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから』とは、広島の平和公園にある碑文。原爆投下にともなう広島の悲劇に対して、この碑文があるわけだけど、これに関しては「主語はなんだよ?」という突っ込みが数多くある。「過ち」って何だよ、という突っ込みも大いにあるだろう。
原爆を落として非戦闘民を何万人も虐殺した戦争犯罪を犯したのはアメリカなわけだから、日本が過ちを繰り返しませんというのはおかしいだろ、と
いうのが最も一般的な突込みであろうか。
この場合、解釈は大きく二つに分かれると思う。ひとつは、過ちを繰り返さないのは「日本人」ないしは「世界市
民!(笑)」というもの。
「日本人」の場合
「日本人」は戦争という罪深いことをしてしまいました。たとえ侵略されても植民地にされても命さえあれば奴隷でも生きていれさえすれ ばよかったのに戦争なんぞをしてしまいました。もう憲法9条を守って、たとえ愛娘が北朝鮮兵にレイプされ虐殺されようとも白旗を高々と掲げて平和の歌を歌 い続けます。戦争という過ちは繰り返しません。そうすればアメリカも中国も北朝鮮も日本に核兵器などという恐ろしい兵器を使うこともきっとないでしょう。本当に恐ろしいのは日本の軍隊ですから。
「世界市民」の場合
日本人のみならず世界中の人が核戦争を二度と起こさないように、この碑文の前で誓ってほしいという想いが込められてい る。我々、世界人類は核兵器を使うという過ちを繰り返しません、ということかな。でも、 この解釈、本来なら無理筋だなぁ。主語を省略するのは、それが容易に了解されるから。日本人が用意した碑文の「我々」が「世界人類」とは、お釈迦様でも気づくま い。大東亜戦争の反動で「国家」を喪失したサヨクらしい発想といえばそうだ。
やはり「日本人」、だけど意味が違うという場合
過ちは繰り返しません、というのは、今度はアメリカに勝ってみせる、という意味(笑)「過ち」とはつまり失敗のことをさす。この場合、失敗とは負けたことだから。
さて3つの解釈を披露しましたが、実は2番目が「正解」。広島を訪れたパール判事が、この碑文はおかしくね?過ちを犯したのはアメリカじゃ
ん。と言った事から端を発して主語は誰だ、という碑文論争が巻き起こる。で、あの碑文を考えた被爆者でもある大学教授が主語は「我々」であり「世界市
民」だと言い切ったわけだ。世界市民と言われちゃうと戦争犯罪を犯したアメリカも、勝てない戦争に戦略無く突入して悲惨な敗戦を招いた日本も、これから
あそこを訪れる世界中の人もすべて含むし、なんといっても碑文を考えた本人がそういっているわけだから、ということで保守派の中では燻る人はまだ多いのだが、全体的
にはおおむね議論が収束して行ったようだ。
しかし、広島生まれのおいらは、被爆2世で天皇が大嫌いな左翼的思想をもつ友人・知人とか何人もいる。彼らの考え方に底流しているのは、天皇を
中心とする全体主義的帝国主義国家としてアジアへの侵略とかしたから最後には原爆まで落とされることになったんだ、というもの。突っ込みどころが多す
ぎて眩暈がするが、そういう認識なんだ。だから被爆者だったり被爆二世だったりする彼らの怒りの矛先はアメリカにはあまり向かわない。そんな彼ら
にとっての「過ち」とは天皇を中心とする当時の日本の国体だったりするわけだ。少ないサンプルで決め付けるのはよくないが、このあたりが広島の人
たちの本音という感じがすごくする。碑文を書いた雑賀忠義広島大学教授は「世界市民」という概念を発明し巧みに論争を切り抜けたが、国家という
枠組みを忌避するプロ市民というのも、この概念の発明から生まれている気がする。
で、過ちとは戦争に負けたことだ、という解釈は面白くて保守系の人にうけると思うが、核兵器というのは少し特別な意味を持つと思う。漫画「はだしのゲン」、小説「黒い雨」、このあたりは見ておいたほうがよい。非戦闘員に対して必要以上に加害を加え人間の尊厳を奪う行為は
弾劾されるべき犯罪行為である、という認識は戦争というものへの捕らえ方や戦争の勝敗や時代の変化を超えて普遍的ではないだろか。
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